2015/12/10

久々に講評に出た。何ヶ月ぶりだろう。自分以外の人はそれぞれのあるべきところへ、そうとは限らないかもしれないけれど、人間として前進しているのを感じた。本当に、感心して、次に落ち込んだ。また逃げようかと思った。

自分こそ本当に場違いで、自分はなんてつまらない、自分の言葉は稚拙で、語ることで作品を汚してしまいそうな気さえして何も言えなかった。いや、本当はつまらないやつと思われるのが怖いだけなのかもしれない。がっかりされたくないだけなのかもしれない。何か伝えるための言葉を考えていると純粋にその作品が見れなくて、もうだめだった。未だにこんなことを考えているのだ。

ごめんね。誰もが素敵で、面白くて、愛しいと思ったけれど、自分が破裂しそうで、ぐらぐらして、沈黙してしまった。

好きだと思ったことを好きだと伝えるための言葉を持ちたい。ぼんやりしてちゃ、だめなんだ。

 

私は彼女の作品(と言っていいのだろうか、彼女は否定している)の話を聞いたとき頭の中でMotion Picture Soundtrackが流れた。胸の中にある水風船が膨らんで破裂しそうだった。彼女は真の意味で優しい、優しいという言葉ではとても足りない、愛のある人だと思った。

神様みたいだ。神様ってなんだろう?